十七世紀イギリス発祥のカフェ文化
ここから情報メディアは始まった。
イギリスというと紅茶文化のイメージがありますが、東インド会社が紅茶を持ち込む以前のコーヒーが盛んだった17世紀のロンドンでは「コーヒー・ハウス」と呼ばれる、現代でいうところのカフェ文化が勃興しようとしていました。コーヒー・ハウスは17世紀後半から18世紀にかけて登場し、都市の中の社交場として、中産階級から富裕層、文化人等、さまざまの人間たちを取り込んで繁栄してきました。
互いに共感しあい、共通の使命を持ち、あるいは相互理解しあえる使命を持った人々の集まりで、情報を集めたり、流言飛語をばらまいていたそうです。
今日のようにさまざまの情報が数多くの媒体を通してわれわれの耳に伝わってくる時代とは異なり、当時のイギリスでは限られた場所でしか、情報、ニュースを得ることができませんでした。
文献によるとコーヒー・ハウスは一種の情報センターであったと記述されており、コーヒー・ハウスの発展と足並みを揃えるかのように、新聞、雑誌などのジャーナリズム活動やメディアが登場し、まだ文字の読み書きが出来る人も限られていた時代であった為、店内では読み聞かせをしている光景もよく見られたという。
政治批判やゴシップ記事などが人気を博すようになり、影響力を持つようになると、政府もコーヒー・ハウスの弾圧に出るようになったそうです。
国王、及び政府は、コーヒーそのものに対して反感を抱いていたのではなく、コーヒー・ハウスという場で交わされる自由な言論活動に陰謀や反乱の目を光らせていたのでしょう。
情報や知識が人々の手に行き渡るようになったのはこの時代が起点であり、コーヒー・ハウスが情報の集積と発信の役割を担っていたの大変興味深い事実である。
一方で、時を同じくしてアフリカには開拓者達が新たな資源を求め、こぞって入植していた。
かつてこの世界には、青く美しい毛並みを持つ、
ウシ科の鹿のような生き物が暮らしていた。
その生き物は【Bluebuck】と呼ばれ、動物保護等の概念が形成される以前、きちんとした研究や標本づくりが行われる前に絶滅してしまい、世界にはたった4体の剥製標本のみしか残されていないため、その生態の詳しい事は分かっておらず、記録は「普段は夫婦か4〜5頭の群れで稲科の植物をもさもさと食べながら暮らしていた」という程度です。
記録上、アフリカで大型哺乳類として初めて絶滅した動物だと言われています。
彼らが暮らしていた南アフリカには、金やダイヤモンドなどたくさんの資源が眠っており、開拓の過程でたくさんの動植物が犠牲になりました。未開の土地だったこともあり、ブルーバックはその毛並みと食肉、レジャー目的にハンティングの対象として際限なく狩られてしまいました。その結果、ブルーバックは1799年に最後の一頭が狩られ、最初の発見からたった200年の間に地球上から「種」が根絶やしにされました。
人間の強欲の末に絶滅した動物故に、当時の人間の行為を批判もありますが、こういった開拓民達のおかげで文明が進歩したのもまた事実なのです。
そして、もう少し早く、人々がしっかりとした見識を得たり、意見を交わす場が登場していたとしたら、もしかしたら【Bluebuck】は現代でも仲間達と楽しく暮らしていたのではないだろうか?という思いは尽きません。
語らいの場としてのコーヒー・ハウス
コーヒーを飲みながらラップトップを開くだけなら、町には美味しくて素敵なカフェはたくさん存在します。Bluebuck Coffee Houseは、ネット社会の現代に於いて、オンラインの情報だけでなく、人々が集まり、日常や身の回りから世界、そして未来のことまでを語り合い、探求し、理解を深めていく場になりたいと考えています。
もちろん、美味しいコーヒーと共に。